若槻菊枝の生涯
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11なかったよ、はらはらして見ていたよ」というのが、当時の客や同業者の声である。 ネオン輝く新宿の夜の世界。作家や俳優も入り浸っていたという菊枝の店。歌い踊る人たちの生気がみなぎる店内の片隅には、「苦海浄土基金」と書かれた木箱がポツンと置かれていた。それは、水俣病患者を支えるカンパ箱だった。プロローグ
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