若槻菊枝の生涯
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10探しまわったが、菊枝の姿はどこにもなかった。 数時間後、心配して店に残っていた従業員の前に現れた菊枝は、何事もなかったかのような口調で「お寿司ごちそうになっちゃった」と一言告げた。 店の前まで送ってもらった際、一番若い下っ端の若者が菊枝のところに来て「うちの兄貴にたてついた人を初めて見た」と小声で伝えてきたのだという。 このとき菊枝に親近感を覚えたらしいやくざの兄貴分の男は、この一件の後も飲みに来るようになった。子分を連れて飲みに来ては、きちんと前払いで代金を払い、いつも礼儀正しかった。兄貴分の男は子分たちに、「この店では変なことするんじゃない」と教えた。よほど菊枝のことを頼りにしていたようで、一人で身上相談に来ることもあったくらいだ。 その男が歌舞伎町に店を出すことになったとき「開店祝いの花が欲しい」と頼まれた菊枝は、これを丁重に断っている。「自分の店を自分で守れないようなら商売はしない」と決めていた菊枝は、相手が誰であれ動じなかった。それができたのは、菊枝が父親の背中――農民争議の闘士――を見て育ったからかもしれない。「ママは、あんな風にしてて、よく殺されなかったね。危昭和の雰囲気が残るノアノア東大久保店の外観。手前の切り絵は菊枝作=2013年撮影

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