細川侯五代逸話集
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第一章 現代語訳編 ―「随聞録」の世界―17しげて考え、「幽斎公は常々真の歌人と思っていたが、さてはこのように風流でいらっしゃるのだなあ。順徳院が詠まれた清見がた雲もなきたる波の上に月のくまなるむら千鳥かな(清見潟に雲も無くないでいる波の上に月の影となる群れた千鳥よ)という秀歌があります。それ故に今宵は時機が悪いと仰ったのでしょう」と申し上げたところ、氏郷公は深く感じ入って、「もしこの事をあなたに聞かなければ、先達である幽斎公のきわめて深い心も知らずに過ごしてしまっただろう。和歌はこの国の習わしで、そこには先人の教えがあるため、このような取捨の判断までも、場合によっては和歌に取らなくてはならないのだなあ」と仰り、それからますます幽斎公に親しんしゃ炙して風雅の道に励まれたということである。【解説】 蒲生氏郷は、はじめ近江日野城主、次に伊勢松坂城主、最後に陸奥黒川城主をつと

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