熊本城の被災修復と細川忠利
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4統制説の観点からの研究が積み重ねられてきた。それらを踏まえる必要があるのはもちろんだが、しかし、普請は領国支配における百姓の動員の問題でもあった。したがって、居城普請は農業基盤整備のための普請――本書ではこれを「地じかた方普請」と呼ぶ――と競合し、同時に公儀(幕府)からの動員による江戸城・大坂城等の普請とも競合したのである。幕藩関係から領国支配までをも含めた全体の中で検討しないと、居城普請の実態には接近できない。以下、当該期熊本藩の普請に関する総合的な観点から、具体的な史料によって、地震や大雨で被災した熊本城の修復の在り方について、検討を進めよう。なお本書では、『大日本近世史料 細川家史料』からの引用は、「大」と略記して巻番号―史料番号を、『松井文庫所蔵古文書調査報告書』(八代市「細川忠利像」(部分)矢野三郎兵衛吉重筆寛永18年 永青文庫蔵
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