熊本城の被災修復と細川忠利
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3はじめに二〇一六年四月十四日の前震、そして同十六日の本震と、熊本は大きな地震に見舞われた。この地震は、私たち熊本県民に多大な物理的・心理的被害をもたらした。なかでも、私たち県民の誇りである「熊本城」の被害の大きさも、それはそれは心が痛むものだった。余震が続く中で、熊本藩主細川家の歴史資料を預かる熊本大学永青文庫研究センターでは、およそ五万八〇〇〇点の永青文庫の史料の中から、江戸時代の地震などの天災と、熊本城の被害及びその修復についての歴史を紐解く日々を送ることとなった。本書では、永青文庫の史料の中でも比較的質・量ともに豊富な近世初期、熊本藩の細川家初代藩主・細川忠利の時代(一六三二~一六四一)に注目しよう。同じ時期、八代城は忠利の父・細川三斎(忠興)が居城としていた。また、忠利の子息で後継者の細川光尚は江戸にあった。近世大名の居城普請に関する研究史をみると、幕藩関係、すなわち公儀による大名
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